須磨海岸の歴史
山陽電気鉄道65年史(非売品)
    昭和47年10月31日発行

      神戸市長田区御屋敷通3丁目1番1号
 発 行
      山陽電気鉄道株式会社

           山陽電気鉄道株式会社
 編 集 
           社 史 編 集 委 員 会

           大阪市福島区海老江上4丁目23番地
 印 刷 
           凸 版 印 刷 株 式 会 社

上記の書籍を山陽電気鉄道株式会社様のご厚意により転載させていただきました。
 
 
 

海 水 浴

  当社沿線には古くから有名な海水浴場が多く、ことに須磨浦一帯は最も有名で、明治43年兵庫電軌時代の沿線案内には「盛夏の候数千の老幼男女が遊浴しつつある有様はあたかも一大浴槽中に在るの思いあり……」と記されている。
  次いで一ノ谷、塩屋までの開通とともに、境浜の御料地全部を借用して兵庫電軌が大正2年7月9日から境浜海水浴場を開設し、シーズンには臨時に境浜海水浴停留所を設けた。大正6年の案内書には「海水浴客雲霞の如く群集す。殊に此(この)浜は摂津播磨の国境にして青松連り銀沙布き風光甚だ佳(か)なるを以て、毎年海水浴場を開き、監視楼、監守船、脱衣場、淡水浴場並びに余興場等を施け、夏知らぬ別天地として著名なり」とある。
  大正13年ごろの海水浴場は、明石中崎、東二見、高砂、八家赤壁の浦、白浜、飾磨がおもなもので、昭和10年ごろには八家、飾磨が、同16年には東二見、高砂がなくなって、新たに新舞子、須磨が加わり、結局須磨、境浜、明石中崎、白浜、新舞子の5海水浴場が戦前まで続いた。

  戦後、社会の復興とともに昭和24年ごろから続々と海水浴場が再開され、須磨、須磨浦公園(境浜)、舞子公園、明石中崎、江井ケ島、別府、高砂、的形、白浜、新舞子、家島などが盛んになり、各海水浴場とも各種催し物を開催して大いににぎわった。

8大海水浴場 昭和25年7月、神戸新聞社が"8大海水浴場の海の歌”を募集し、タイヘイレコードに吹き込み、7月23日境浜で発表会を行なった。8大海水浴場とは須磨海浜公園、須磨境浜、明石中崎、白浜、家島、新舞子、赤穂、竹野浜で、入賞の海の歌の一節では「須磨にはじまる 砂浜つづき 境浜やら 明石の浜や ゆめの淡路を うつつの前に 白浜の宮 新舞子にもむせる潮風 わきたつ人出……」と歌われている。

  当社直営の境浜海水浴場では海上花火大会を昭和28年から毎夏開催して市民に喜ばれていたが、海浜浸食のため昭和32年8月を最後に大正2年以来の幕を閉じ、新たに須磨浦公園海水浴場として新設の須磨浦公園駅前海浜に昭和33年の夏から開設された。水着のままロープウェイで山上に登れる海水浴場として喜ばれたが、ここも潮流による砂浜の浸食が年々激しくなり、ついに37年8月閉鎖し、当社直営の海水浴場は姿を消した。また播磨の海浜も昭和32年10月から播磨工業地帯としての埋立てが始まり、昭和36年に高砂が、42年に別府がそれぞれ閉鎖された。

  現在、沿線の海水浴場は、海水の汚染や埋立工事のため、須磨、的形、白浜、新舞子の4カ所となった。